【少しずつ、ではあるけれど】7月19日 小屋浦3丁目支援活動3日目
少しずつ、町内の風景が変わってきました。
西日本豪雨からもうすぐ2週間の、
広島県安芸郡坂町小屋浦地区。
初めてこのブログを見る方は、
ぜひまず初日の記事をご覧ください
川手がお手伝いに行っているKさん宅の前に
まずは小屋浦町内の7月19日の写真を紹介します。
小屋浦3丁目の様子
重機を見たら羨ましく思う自分
小屋浦3丁目の、狭い道路にも1~2トンショベルカーが入り、
ダンプトラックで土砂を運んでくれています。
被災当初は、トラックが入るどころではなかった道路。
本当に復旧作業される皆さんに感謝です。
こちらは小屋浦3丁目の、踏切に近い方のエリア。
Kさん宅に向かう川手。
重機が入っていないエリアの人間が、
重機の作業ずみのエリアを歩くと、
『早くうちにも重機こんかなぁ・・・』
と、自分勝手な願望を抱いてしまう。
川手も、地域の方も、
自分だけでなく 皆が、大変な状況なのは、分かっている。
数日待てば、重機は自分のエリアにも必ずやってくるのも分かっている。
ただ、その数日の違いが羨ましく思える。
町内の人で『ウチのほうには重機まだ来んのか・・・』と言ったり、
『坂町の中でも〇〇エリアにはボランティアが多いらしいのに
小屋浦のボランティアが少ないのは何故だ?配分を見直してほしい。』
と言っている人とも、何人かお話しする機会があった。
被災からもうすぐ2週間。
少しずつ、焦りのような気持ちを覚えたり、イライラしたり、
どうしても他地域と自分の地域を比べてしまうことが多くなっているような気がする。
やったぞ!!!クレーン車バンザイ!!!
こちらは、小屋浦小学校前。
天地橋という橋が崩落した所に、
クルマが頭から突っ込んでいました。
そのクルマを大きなクレーンで引き上げていました。
通常ならすんなり持ち上げられる大きさのクルマですが、
あまりにもアタマを地面に突っ込んでいる角度のため、
慎重に、慎重に持ち上げているとのことでした。
(↓下の写真は、7月14日の写真です)
帰宅時に呉線側から小屋浦小学校を見ると、
クルマもクレーンも居なくなっていました。
無事、撤去できたということでしょう。
公園という名のゴミ置き場 その後
こちらは、先日紹介した小屋浦3丁目の中にある公園。
ショベルカーの先端が、モノをつまめる『油圧グラップル』というものを使い、
ゴミ収集車に被災ゴミを積んでいました。
線路沿いも少しずつ復旧してます!!
呉線を沿うように通っている
小屋浦3丁目の道路。
初日はこのあたりもベチャ土砂が残っていたのだが、
強い日差しと、重機の活躍もあり
だいぶ通れるようになってきた。
被災初日から、ずっと移動していない軽自動車。
壁際にある歩道にのりあげているわけだが、
見て頂きたいのは、
クルマの『下』の土。
拡大しないと分かりにくいが、
歩道よりも土砂の方の高さが高いため、
タイヤが完全に浮いている。
被災して何度も足を運んでいる小屋浦だが、
歩くたびに水のチカラ、土砂のチカラ、流木のチカラを思い知らされる。
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7月19日 本日の川手の作業内容
町内の写真は以上になりまして、
ここからは川手とご縁のあるKさん宅の様子。
この日は平日ということもあり、
小屋浦に行けたのは、川手とKさんの2人。
Kさんのご年齢は、70歳を超えておられるので、
この日(7月19日)は重いものなどはあまり運べない。
少しずつではあるけれど、家の中の片づけをすることに。
前回の記事の通り、とりあえず断水が解除になったので、
トイレやお風呂、廊下の復旧にあたることにする。
お風呂をキレイにする
Kさんが、まず細長いプラスチック製のヒモのようなものを排水口に突っ込み、
詰まっている泥を少しずつ除去する。(写真撮り忘れ・・・)
やはり水が出るということはありがたい。
トイレをキレイにする
トイレは被災からほぼ手付かず。
少し床をキレイにしたものの、便器には泥だらけ。
壁を見ると、トイレの手洗い蛇口以上に浸水したのが改めてわかる。
写真を撮り忘れたが、便座を外したり、水槽を開ける。
外したものをお風呂場に持っていき、Kさんが洗う。
を繰り返した。
廊下をキレイにする
被災してから1階部分は当然 全て土足。
お風呂や、トイレが少しずつキレイになってきているが、
このままでは長靴の裏についている泥で、
また掃除した場所が汚れてしまう。
なので、風呂のシャワーの水を流し、
少しずつ『キレイな場所』を増やしていく。
帰宅時には、とりあえず『床板』がきれいにみえるようになった。
残念ながら、カビ?のようなものがあり、床板も、壁も白くなっている。
居間に残った泥をキレイにする
同様に、居間の床も泥だらけである。
タタミはほぼ外に運び出した。(写真左、ピアノの下にしいてあるタタミはそのまま)
この居間の泥が、トイレやお風呂まで長靴を通して広がってしまうので、
デッキブラシと、角スコップを使って泥を撤去する。
後で紹介するが、土のう袋には、穴あきバケツと、
台車があるとはかどるということがよくわかった!!!
台所はまた後日!!
残念ながら、キッチンはほぼ手付かず。
再利用したい食器もあるとのことで、
Kさんの奥さんがいないと作業が進められないという側面もある。
そして、棚、冷蔵庫が変に倒れて、ケガをしたら大変、
また、割れた食器やビンなどでケガをしたら大変。
ということで、キッチンはまた後日です。
がんばれバケツ…お前がナンバーワンだ!!
以前Facebookで紹介した、土のう作り用の『穴あきバケツ』が相変わらず大活躍。
更にその進化系で、『穴あきバケツ』を、手押しの台車の上に置いておくと、
スムーズに屋内の土のう袋を窓から外に出せることが判明。
今後も活躍してくれたまえ、バケツ!!!
コンセントはオモテだけ直してもダメだった!!!
それと、この写真の左上に見えるコンセントの差込口。
川手がお手伝いに来ていない日に、
電気屋さんが浸水した差込口のオモテ部分を取り替えてくれたらしい。
が、残念ながら、
オモテはきれいになっても、浸水の影響か。
中の配線のどこかが壊れているようで、
通電するとブレーカーが落ちてしまうとのこと。
なので、1階でコンセントを使いたいときは
とりあえず延長コードを2階からつなぐことになった。
7月19日 帰り道の写真
帰り道。Kさん宅を山側から見る。
家の中は少しずつ、少しずつ片付いてきているが、
家の前の道路は、ハッキリ言って被災初日と状況は変わっていない。
すこしだけベチャ土砂が乾き、歩きやすくなっているが、
土砂崩れ現場から山水がいまだに流れているため、
まだまだ水が乾いてくれない。
こちらはKさん宅を呉線側から見た写真。
各家庭が浸水した家具やゴミを、仕方ないので道路の土砂の上に出している。
誰かを批判するつもりはない。本当に他意はない。
が、あえてもう一度言わせてもらうと、
重機が来ない限り、この地域の復旧はまったく進まない。
重機がこちらの道路にくるまで、順番を待つほかない。
余談になるが、
小屋浦地区でも100年以上前にやはり大水害があったそうである。
その水害の時は、いったいどうやって、
そしてどれくらいの時間をかけて、
町を復興させたのか?
ふと考えながら帰路についた。
少しずつ、少しずつ。
1回ずつ。1袋ずつ。1台ずつ。1軒ずつ。
いっぺんにはすすまない。
でも、少しずつではあるけれど、確実に町はよくなっていっている。
川手が写真を撮り続けるのは、この少しずつを残しておきたいから。
被災地で写真を撮ることに賛否両論あるのは知っていますが、
この少しずつの積み重ねが いつか、地元の方の自信になると思うのです。
次回、この場所に来るときは、重機が来てくれていますように・・・・。
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OKファーム 川手晋治
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本業は、東広島市豊栄町で、農家をやっています。
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