【少しずつ、ではあるけれど】7月19日 小屋浦3丁目支援活動3日目
少しずつ、町内の風景が変わってきました。
西日本豪雨からもうすぐ2週間の、
広島県安芸郡坂町小屋浦地区。
初めてこのブログを見る方は、
ぜひまず初日の記事をご覧ください
川手がお手伝いに行っているKさん宅の前に
まずは小屋浦町内の7月19日の写真を紹介します。
小屋浦3丁目の様子
重機を見たら羨ましく思う自分
小屋浦3丁目の、狭い道路にも1~2トンショベルカーが入り、
ダンプトラックで土砂を運んでくれています。
被災当初は、トラックが入るどころではなかった道路。
本当に復旧作業される皆さんに感謝です。
こちらは小屋浦3丁目の、踏切に近い方のエリア。
Kさん宅に向かう川手。
重機が入っていないエリアの人間が、
重機の作業ずみのエリアを歩くと、
『早くうちにも重機こんかなぁ・・・』
と、自分勝手な願望を抱いてしまう。
川手も、地域の方も、
自分だけでなく 皆が、大変な状況なのは、分かっている。
数日待てば、重機は自分のエリアにも必ずやってくるのも分かっている。
ただ、その数日の違いが羨ましく思える。
町内の人で『ウチのほうには重機まだ来んのか・・・』と言ったり、
『坂町の中でも〇〇エリアにはボランティアが多いらしいのに
小屋浦のボランティアが少ないのは何故だ?配分を見直してほしい。』
と言っている人とも、何人かお話しする機会があった。
被災からもうすぐ2週間。
少しずつ、焦りのような気持ちを覚えたり、イライラしたり、
どうしても他地域と自分の地域を比べてしまうことが多くなっているような気がする。
やったぞ!!!クレーン車バンザイ!!!
こちらは、小屋浦小学校前。
天地橋という橋が崩落した所に、
クルマが頭から突っ込んでいました。
そのクルマを大きなクレーンで引き上げていました。
通常ならすんなり持ち上げられる大きさのクルマですが、
あまりにもアタマを地面に突っ込んでいる角度のため、
慎重に、慎重に持ち上げているとのことでした。
(↓下の写真は、7月14日の写真です)
帰宅時に呉線側から小屋浦小学校を見ると、
クルマもクレーンも居なくなっていました。
無事、撤去できたということでしょう。
公園という名のゴミ置き場 その後
こちらは、先日紹介した小屋浦3丁目の中にある公園。
ショベルカーの先端が、モノをつまめる『油圧グラップル』というものを使い、
ゴミ収集車に被災ゴミを積んでいました。
線路沿いも少しずつ復旧してます!!
呉線を沿うように通っている
小屋浦3丁目の道路。
初日はこのあたりもベチャ土砂が残っていたのだが、
強い日差しと、重機の活躍もあり
だいぶ通れるようになってきた。
被災初日から、ずっと移動していない軽自動車。
壁際にある歩道にのりあげているわけだが、
見て頂きたいのは、
クルマの『下』の土。
拡大しないと分かりにくいが、
歩道よりも土砂の方の高さが高いため、
タイヤが完全に浮いている。
被災して何度も足を運んでいる小屋浦だが、
歩くたびに水のチカラ、土砂のチカラ、流木のチカラを思い知らされる。
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7月19日 本日の川手の作業内容
町内の写真は以上になりまして、
ここからは川手とご縁のあるKさん宅の様子。
この日は平日ということもあり、
小屋浦に行けたのは、川手とKさんの2人。
Kさんのご年齢は、70歳を超えておられるので、
この日(7月19日)は重いものなどはあまり運べない。
少しずつではあるけれど、家の中の片づけをすることに。
前回の記事の通り、とりあえず断水が解除になったので、
トイレやお風呂、廊下の復旧にあたることにする。
お風呂をキレイにする
Kさんが、まず細長いプラスチック製のヒモのようなものを排水口に突っ込み、
詰まっている泥を少しずつ除去する。(写真撮り忘れ・・・)
やはり水が出るということはありがたい。
トイレをキレイにする
トイレは被災からほぼ手付かず。
少し床をキレイにしたものの、便器には泥だらけ。
壁を見ると、トイレの手洗い蛇口以上に浸水したのが改めてわかる。
写真を撮り忘れたが、便座を外したり、水槽を開ける。
外したものをお風呂場に持っていき、Kさんが洗う。
を繰り返した。
廊下をキレイにする
被災してから1階部分は当然 全て土足。
お風呂や、トイレが少しずつキレイになってきているが、
このままでは長靴の裏についている泥で、
また掃除した場所が汚れてしまう。
なので、風呂のシャワーの水を流し、
少しずつ『キレイな場所』を増やしていく。
帰宅時には、とりあえず『床板』がきれいにみえるようになった。
残念ながら、カビ?のようなものがあり、床板も、壁も白くなっている。
居間に残った泥をキレイにする
同様に、居間の床も泥だらけである。
タタミはほぼ外に運び出した。(写真左、ピアノの下にしいてあるタタミはそのまま)
この居間の泥が、トイレやお風呂まで長靴を通して広がってしまうので、
デッキブラシと、角スコップを使って泥を撤去する。
後で紹介するが、土のう袋には、穴あきバケツと、
台車があるとはかどるということがよくわかった!!!
台所はまた後日!!
残念ながら、キッチンはほぼ手付かず。
再利用したい食器もあるとのことで、
Kさんの奥さんがいないと作業が進められないという側面もある。
そして、棚、冷蔵庫が変に倒れて、ケガをしたら大変、
また、割れた食器やビンなどでケガをしたら大変。
ということで、キッチンはまた後日です。
がんばれバケツ…お前がナンバーワンだ!!
以前Facebookで紹介した、土のう作り用の『穴あきバケツ』が相変わらず大活躍。
更にその進化系で、『穴あきバケツ』を、手押しの台車の上に置いておくと、
スムーズに屋内の土のう袋を窓から外に出せることが判明。
今後も活躍してくれたまえ、バケツ!!!
コンセントはオモテだけ直してもダメだった!!!
それと、この写真の左上に見えるコンセントの差込口。
川手がお手伝いに来ていない日に、
電気屋さんが浸水した差込口のオモテ部分を取り替えてくれたらしい。
が、残念ながら、
オモテはきれいになっても、浸水の影響か。
中の配線のどこかが壊れているようで、
通電するとブレーカーが落ちてしまうとのこと。
なので、1階でコンセントを使いたいときは
とりあえず延長コードを2階からつなぐことになった。
7月19日 帰り道の写真
帰り道。Kさん宅を山側から見る。
家の中は少しずつ、少しずつ片付いてきているが、
家の前の道路は、ハッキリ言って被災初日と状況は変わっていない。
すこしだけベチャ土砂が乾き、歩きやすくなっているが、
土砂崩れ現場から山水がいまだに流れているため、
まだまだ水が乾いてくれない。
こちらはKさん宅を呉線側から見た写真。
各家庭が浸水した家具やゴミを、仕方ないので道路の土砂の上に出している。
誰かを批判するつもりはない。本当に他意はない。
が、あえてもう一度言わせてもらうと、
重機が来ない限り、この地域の復旧はまったく進まない。
重機がこちらの道路にくるまで、順番を待つほかない。
余談になるが、
小屋浦地区でも100年以上前にやはり大水害があったそうである。
その水害の時は、いったいどうやって、
そしてどれくらいの時間をかけて、
町を復興させたのか?
ふと考えながら帰路についた。
少しずつ、少しずつ。
1回ずつ。1袋ずつ。1台ずつ。1軒ずつ。
いっぺんにはすすまない。
でも、少しずつではあるけれど、確実に町はよくなっていっている。
川手が写真を撮り続けるのは、この少しずつを残しておきたいから。
被災地で写真を撮ることに賛否両論あるのは知っていますが、
この少しずつの積み重ねが いつか、地元の方の自信になると思うのです。
次回、この場所に来るときは、重機が来てくれていますように・・・・。
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OKファーム 川手晋治
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7月28日神園さやかチャリティーコンサート のご案内
【それぞれの支援方法】
【7月28日神園さやかチャリティーコンサート】
★以前も少し話をしましたが、川手の同級生で、
『神園さやか』という歌手がおります。
安芸郡府中町出身です。
誰ソレ?って方は、
とりあえずYouTubeみて下さい(笑)
https://youtu.be/h2NnURYyFuQ
もともと、
7/28に、自分の誕生日コンサートを広島でやる!!
ということだったそうなのですが、
今回の豪雨の影響も考慮し
『チャリティーコンサート』に名前をかえて
行われるそうです。売上の一部を寄付されるのも決定とのこと。
現地でボランティアも支援ですが、
コレもまた立派な支援だと私は思います。
★同級生である神園は、今は関東在住ということもあり、
広島の様子があんまり分かっていなかったということもあり、
川手から広島の被害状況や、
道路や電車の復旧具合をメッセなどで伝えたりしていたのですが、
その中で
『7月末のコンサートを中止すべきかどうか悩んでいる』
と言っていたので、
『やっても、中止しても、文句言う人は絶対おるので、
やりたいならやって下さい。
で、お客さんから義援金なり、元気なりもらって、
被災地に届けて、現地を励ましてあげて下さい。』
と、無責任ながら川手がアドバイスしてしまいました。
ということで、皆さん、応援よろしくお願いします(笑)
多分、彼女のことだから、
『コンサート行けて良かったわー!!』
『明日からまた頑張ろう』
と言ってもらえるように、
体調管理から、ボイストレーニングから、選曲から、
準備万端で広島に来てくれると思います。
★ボランティアでちょっとお疲れの方。
ボランティアに行きたいけど、直接行けない方。
ちょっとだけ、被災した事を忘れたい方。
こんな時だからこそ、元気を出したい方。
7/28の夜、ぜひ広島出身の神園さやかの歌を聴きに行ってみて下さい。
芸能界の方々は、こういった災害時に、
すごくアクションを取りづらいと思うんですが、
『歌』という支援物資を届ける事が出来る
『歌手』を本当に素晴らしい と、私は思っています。
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神園本人からのチャリティーに対する想いはこちら
https://ameblo.jp/sayaka-kamizono/entry-12392143303.html
コンサート情報はこちら
http://www.kamizonosayaka.jp/
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【想い出たちにサヨウナラ】 7月15日 小屋浦3丁目支援活動2日目
【7月15日小屋浦3丁目 支援活動2日目】
7月14日に続き、西日本豪雨で被災された、
広島県安芸郡坂町小屋浦のKさん宅へ、 復旧作業の手伝いに行ってきました。
前日の様子はこちらをご覧ください
http://ok-farm.hateblo.jp/entry/koyaura1
↑7月15日の小屋浦3丁目の写真
重機早くきてくれー!!!と願ってみても、まだまだ来そうにない、、、。
★冒頭のタイトルの通り、 川手が被災後に小屋浦に入るのは2日目ですが、Kさんご一家は この時点で既に5日目くらいの作業になります。
朝7時ごろに現地でご挨拶をKさん一家と交わしますが、 明らかに疲労が感じられました。 前日に1日作業しただけの川手も、グッタリして、 グッスリ寝てしまったくらい。被災されたご本人や、 ご家族はもっと疲れやすいのは間違いないでしょう。
★7月15日の作業も、前日と同じく、 Kさん宅の前の土砂がたまった道を少し歩きやすくすること、 それと、家の中のものを捨てるのか、 取っておくのかを選別する作業が主となりました。
この同日、小屋浦3丁目の被災者同士で、
トラブルが起こりそうになった出来事を別記事で載せています。
こちらもよければ、 現場のナマの様子を確かめてもらえたらと思います。
http://ok-farm.hateblo.jp/entry/koyaura2
★Kさん宅の1階は、床上1. 5メートルくらいまで浸水しました。
本棚も倒れ、ピアノも倒れ、 (ピアノは、 その下にあったタタミが浮いてピアノがズレ込んで倒れたような状態でした)
天井付近に『壁からかけてあったもの』以外は、 ほとんど浸水したような状態でした。
★Kさんは、読書家。司馬遼太郎や、海音寺潮五郎をはじめ、 本棚いっぱいに小説が並べてありました。川手が高校生、 大学生の時には、この本棚からKさんオススメの、 司馬遼太郎の歴史小説をよく借りたものです。
が、その本棚も、全体の80パーセント近くが水没。
Kさんも、本当は取っておきたいという想いがあるようでしたが、
本の量が膨大なので、『その気になれば買える』 という判断のもと、
水没した本は捨てる事に決定。
川手と、Kさんのご家族で、
本棚から小説を抜き取ろうとしましたが、、、、なんと、、、。
本が、本棚から抜けません。
浸水したため、本の厚さが分厚くなり、 お互いを押し合うような形になり、
少し強めにチカラを入れてもビクともしません。
仕方なく、トンカチや釘抜き(バール)を駆使して、
数冊の本を叩きながらキッカケを作り、本を抜き取ります。
また、どうしてもギチギチで本が抜けない列は、
トンカチで本棚そのものを叩いて壊しながら、本を回収しました。
また、水を吸った本は とても重く、汚れた水が少し乾いてイヤな臭いがしていました。 ビニール袋や、 土のう袋に入れて捨てるモノ置き場において行きました。
★本棚そのものにも想い出がある
このブログを書く前に、Facebookで、 Kさん宅の浸水の様子を投稿すると、
川手と同じように 学生時代にKさんから本を借りて読んでいた人が
『Kさん宅の本棚がグチャグチャになっている、、、ショックだ、 、、。』
とコメントされていました。
川手や、同じようにKさん宅に出入りしていただけの人間でも、
本棚や家具に思い入れがあります。
Kさんも『何とかこの本棚を生かす方法はないかのう?』
と言いながら本棚を眺めておられましたが、
ご家族の方から『 諦めよう。気に入ってるのは分かるけど、水を吸った本棚は、 今後腐ったり、不衛生だったりと、再利用は難しいよ』 と声をかけられていました。
川手自身は、本棚にこだわった事はないのですが、
やはり読書家の方や、一軒家を、お持ちの方の家具というのは、
その中身である本と同じくらい、思い入れがあるのだなぁと、
当たり前の事を改めて感じました。
Kさんに了承を頂き、
川手自身でその想い出の本棚にトンカチ、
ノコギリを入れ分解しながら、浸水した本を廃棄していきました。
★写真と、想い出の文集(パンフレット)
本棚と同じように、Kさんとご家族で、
『コレは何とかして再利用できないか?』
とKさんが言い、
『いやー、やっぱり無理じゃろ。片付けも進まんし、
必要なものはもう一回買おう。捨てよう』
とご家族がそれに答える会話が続きます。
しかし、やはりご家族も『想い出の写真』にだけは、
『 コレは買い直しは出来ないから、残そうか』
と、Kさんの意思を尊重しておられました。
昔から写真嫌いのKさん。
写真そのものの量は多くなかったのですが、
ご自身の結婚式の写真、子供さんや、お孫さんの写真。
今は天国にいってしまったペットの写真など、
色々な思い出が水浸しの本棚の中から出てきます。
コレらは浸水していなかった2階の部屋と、
ベランダに逃がして、 乾くように広げてありました。
そして、思い出の文集。僕らは通称『パンフレット』と読んでいるものがあります。
Kさんにとっても、川手にとっても、特別な想いのある文章についてですが、
川手の高校時代を知らない人にとっては、
ちょっと話がそれるので別記事でご紹介することにします→準備中
★やったぞ!!断水解除!!
7月15日の夕方、『小屋浦の避難所で水道が出ているらしい』 という情報を聞き、
Kさんの風呂場の蛇口をひねると、、、、 やった!!!水が出た!!
7月6日以来約9日ぶりの上水道の水でした。
ただ、この日の日中には、
『下水の修理が出来ていないので、 まだ水は流さないで欲しい』
という町内放送があったので、 お風呂やトイレの復旧作業は後日にすることにしました。
詰まったままのお風呂ですが、水が出るというだけで、
ホッとした声が皆から出ました。
★ゴミとタタミを外に出す
まだまだ自宅前はベチャベチャの土砂が残っている
(というか、 被災直後とほとんど変わっていない)わけですが、
『被災者同士でトラブル発生寸前!』
http://ok-farm.hateblo.jp/entry/koyaura2
でご紹介したように、
少しずつ重機が近付いてきています。
本当は重機が土砂を撤去してから家の中のものを出したいのですが、
まだもう少し時間がかかりそうな土砂。
というわけで、
近所の人の通り道の邪魔にならない場所に、
家の中で選別した結果の想い出たち、、、ゴミを出します。
そして、タタミはベチャベチャの土砂の上に置くと、 なかなかいい通路になります。
他の家の人も、タタミを自宅前に並べて、
少しずつ、少しずつ、歩きやすい道が出来てきました。
家の中も、少しずつモノが減ってきました。
まだ、大物家電や、ピアノなどが出せません。
外には何とか出せても、ベチャ土砂ばかりなのて、 置く場所がないのです。
大物家電は、重機が土砂を撤去した後になりそうです、、、。
以下は帰り道に撮った写真です。
少し高い場所から見た写真。
アスファルトが全く見えない、
異常な風景。
鼻をつく臭いとは
付き合いが長くなりそう。
JR呉線が完全に止まっているため、
国道近くの駐車場から、線路を渡る人が多数。
本当はいけないのは分かっているけど、
ベチャベチャの土砂の中を500m-800m歩くのは無謀である。
線路の上を、川手自身も歩いて、移動している。
自衛隊の方達は、小屋浦2丁目と3丁目の間にある川の手入れをされたり、
川が再びあふれないように、川底の砂を運び出したりされている
小屋浦3丁目にある公園。
川手もKさんのお孫さんとサッカーをしたことがあるが、
今はゴミ置場となっている。
子供さんがここで遊べる日はいつになるのだろうか?
少し寂しくなったが、今はそんな事よりも復旧作業が優先である。
数日前まで水とベチャ土砂でグチャグチャだった小屋浦3丁目の入り口。
重機のおかげで、入り口付近はかなり歩ける状態になってきた。
引き続き、ちょこちょこ小屋浦3丁目にお手伝いにいくつもりです。
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次の復旧活動は、こちらをご覧ください
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7月19日道路情報 国道2号線 中野東 平原橋】【ポプラまで前進してください】
【7月19日道路情報 国道2号線 中野東 平原橋】【ポプラまで前進してください】
★現地で実際に写真撮って声を聞いて来ました。
つい先日まで、瀬野から海田方面に抜けるには
瀬野駅からコーナンの横を曲がって、住宅街を5分ほど通過し、
その先のダイキ瀬野川店に出るしかルートがなかったのですが、
7/19の朝時点で
ポプラの信号のところまで、
クルマが通れるようになっています。
地元の迂回路の交通整理ボランティアの方が、
『もう、ポプラまで通れるから
なるべくコーナンの所では曲がって欲しくない。
住宅道路を守るためにも
ポプラまで前進に協力お願いします。』
とのことでした。
2号線を西条から通るかたはご配慮下さい。
そして、21日は国道2号線が全線復旧となります。ちょっとだけ待てる方は、あと2日、外出を控えて、関係車両を優先してあげて下さい!!
凄まじい早さで道路を復旧して下さった工事の方
交通整理をされている、地元の方々に感謝です!!
川手は今から、先日ご紹介した、小屋浦のお手伝いにいってきます!!
https://www.facebook.com/410514872440765/posts/1032517853573794/
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被災者同士でトラブル発生寸前!それを救ったのは、、?【小屋浦3丁目復旧活動記】
【7月15日小屋浦3丁目 支援活動2日目】
★昨日7月14日に続き、小屋浦3丁目のKさん宅のお手伝いに行って来ました。
http://ok-farm.hateblo.jp/entry/koyaura1
昨日の記事は上から↑ご覧下さい
やること自体は、昨日と変わらず、家の中のものを外に出す作業。
道路の土砂を運びだそうにも、Kさん宅の前の道路は、土砂崩れがあった土砂の、真正面の通りのため、土砂に加えて大木が道路に紛れています。
この大木と土砂がキッカケで、今日、ある事件が起こりました。
(写真は7月15日朝のもの)
被災者同士でトラブルが起こった、、、いや、起こりかけたのです。
★今回の内容は、かなりデリケートな部分を含みます。人のお名前も地域も全て仮名で表記します。
『デリケートな話なら、ブログに書くなよ』と、言われるかもしれませんが、それでも知っておいて欲しい理由があります。
この問題を放置していたら、『復興の格差』が拡大してしまうからです。
★この記事を公開する目的は、
今、西日本で復興活動をしている地域で
このような被災者同士でのトラブルを起こして欲しくないから。もし次に災害が起こった時に
『この点に注意しないと、復興しても、住民同士の仲が険悪になってしまうよ』という問題提起をして頂き、自治体や専門家の方の対策を立てられるようにして頂きたいのです。
繰り返しになりますが、理由は上記のものであり、
今日トラブルが起こった、小屋浦3丁目の方を非難したり、川手が不満をぶちまけたいとか、そういう場ではないことだけ、まずご承知下さい。
★そして、この記事は、全文を読まないと川手の真意が伝わらない可能性が高いです。
もし、ご友人などにシェアする場合は、少なくとも全文をお読み頂いた上でお願いします。
個人の特定につながりそうな部分は、フェイクを入れて書いています。つまり、この記事だけで、個人の特定は不可能です。
重ねて、被災地域の方を傷つけるようなコメント、シェアはお控えください。
★何故、トラブルが発生しかけたか
ことの発端は、昨日の記事で紹介した、『天国』である、水場です。
土砂崩れ後、この崖崩れの現場から、少量ずつですが、水が絶え間なく流れていました。
川手は全く気に留めていなかったのですが、その湧き水が、小屋浦3丁目内の、とある地域に常に流れ込んでいたそうです。
その集落の方(以下A集落)は、水が流れを止めようと、対策を取りました。
どのような対策を取ったかはここでは書きません。そこは今回の指摘したい点ではないので。
すると、山水のA集落への流入は、確かに止まり、A集落の復興は加速するかに思われました。
★しかし!!!
今度は、別の集落(B集落)へ、山水が流れ込み始めたのです。少し前まで、水が乾いてきていたB集落は異変に気付き、よく調べると、A集落の浸水対策が、結果的にB集落への被害を与えていることが分かり、悩んだ上でA集落に抗議に行きます。
第三者を踏まえ、A集落、B集落で話し合いが始まりますが、当然話がまとまりません。
B集落は『そっちが排水作業したせいで、こちらの復興が遅れる。しかも、もし大雨がまた降ったらB集落がまた被害拡大する。すぐに元の状態に戻してくれ』
A集落も、『せっかく自分たちで人手をかけて、復旧活動を進めたと思ったところで、今さら元に戻したくはない。そもそも、B集落に悪意を持って作業したわけではない』となり、話は平行線。
★ここで、キーポイントになるのが、何と!
川手が作業していた、『Kさん宅前の道路』だったのです。
Kさん宅の前の道路は、土砂崩れが起きた場所の真正面の通りだったので、他のエリアには流れ込んでいない、流木が大量に流れ込んでいました。
(↑この写真は、Kさん宅より上流の流木。これと同じレベルのものが、泥の中に埋まっている)
その大量の流木がKさん宅前で動かなくなり、土砂が更にたまり、Kさん宅の前は、小屋浦町内で一番ひどいドロドロ状態、ぬかるみになっていたのです。(昨日今日と、町内を歩いてみて、Kさん宅前以上に、ひどいぬかるみを見たことがありません)
★そして、土砂崩れ現場から見て、Kさん宅の前の流木を乗り越えた先に、雨水を排水する、排水溝があったのです。言い方を変えると、先ほどの流木がなくなれば、A集落もB集落も、浸水被害が無くなる(減る)可能性が高くなる!
で、先ほどのA集落、B集落の人が、Kさんの道路に面した人に、『流木は、大きすぎるので、人力の撤去は、現実的でない。だからせめてKさんとこの土砂地帯に、土砂崩れ現場からからまっすぐ排水路を掘らせて欲しい。作業は、A集落B集落、そしてKさん集落にも手伝ってほしい』と。
もし、これがうまいこと行けばA、B集落も助かるし、理想通りに行けば、Kさんの家の前の道路も少しはベチャベチャ具合が直るかも、、、。
しかし、足場は最悪で、全て人力です。
土砂は1メートルくらいの深さになる為、危険も伴う上、もし大木への排水の作業が中断した場合、A、B集落への浸水が無くなる代わりに、全ての水がKさんの前の道路に流れ出すリスクもあります。
なので、Kさんの通りの回答は
『排水路を掘ることは分かった。ただ、上流から水路を掘って、途中で作業が不可能になると、自分たち(Kさん集落)に甚大な被害が出る。なので、A集落B集落にも、排水溝のある下流から作業を開始してほしい』
この提案に、Kさん集落の人で『本当に大丈夫なのか?』と戸惑う人も中にはいましたが、とりあえず総動員で排水路を下流から作る作業にかかりました。しかし、、、、。
やはり、足場が悪い上、人力だけでの作業では、全く作業が捗りません。
何とか排水といえるかどうか程度のスジは付きました。確かに、少しは水が逃げていく。ただし、ほんの少し。
しかし、1番巨大な流木(恐らく数百キロ)はおろか、普段なら軽く持ちあげられる流木すら、足場が悪く、持ち上がりません。
A集落B集落へ川手は行ってないので分かりませんが、
その時点で不利な状況に陥ったのは、Kさんの前の通り。
タダでさえひどい浸水なのに、更に絶望的な浸水をする可能性が出てきました。
徐々に、全ての住民の雰囲気が悪くなりかけたのですが、、、、そこに現れたのは!!!!
坂町が派遣していたショベルカーでした。
川手が思うに、本当にドラマみたいなタイミングでした。
昨日のブログで、『重機は来てくれているが、Kさんの道路にはあと数日、辿り着かないかもしれない、、、』と早期の来訪を待っていたショベルカーが、住民総出で作業しているそこに現れたのです。
事情を説明し、本来の作業工程とは違うものである、『Kさん集落の流木を撤去し、排水路を確保する』という業務を、行って下さいました。
ぬかるみの中、ショベルカーそのものが立ち往生する危険もある中、スタッフさんが、流木を撤去してくれ、地域の人からは歓声が上がりました。
Kさん宅の致命的な浸水の可能性も減ったので、その後、地域の人が排水路を上流から作ります。
土がベチャベチャ過ぎるので
スコップを使うのではなく、トタン板を踏みつけ、その踏みつけたトタンが道を作るという新スタイルも発見されました(失敗したら自分が沈みますが笑)
2枚のトタンを交互に前方に送りながら、道筋をつけていきます。
重機と、地域の人のチカラがあり、何とか排水路ができ、その後、当初目指していた道路沿いの排水路も復活しました!!
分かりにくいですが、土砂の中央に、うっすらとスジがついています↓
結果オーライ、というやつでしょうか。
たまたま。本当にたまたま、重機がそこまで来ているから、その場でトラブルは発生しませんでしたが、もし、重機がいなければ、A集落、B集落、Kさん集落で『お前のとこが復興作業をしたらうちの家の浸水がひどくなる!どうしてくれる!!自分さえよければいいのか!』
と、本当に大きなケンカになっていたと思います。
★昨日、『被災者は皆明るく振る舞っている』と川手はブログに書きました。
確かに、明るいとは思いますが、ギリギリのバランスで、皆耐えているというのを再確認しました。
悪意の無い行動から始まったものであっても、この非常時であれば、少しの事でピリピリしてしまう。
個人のちょっとした選択が、自分の家や、地域の復興に関わる問題に発展しかねない問題になりうる。そうなったら、住民同士で、復興したあとにも引きずりかねないトラブルが起こるのだと、感じました。
ここからは、川手の勝手な妄想タイムです。
小屋浦3丁目の内容ではなく、今後もし、災害が起こった時に、、、という内容も含みますので、お忙しい方はパスして頂いて大丈夫です。お時間ある方はぜひご一読お願いします。
★以下は川手の理想論です。
理想論ですが、こういったトラブルを防ぐために出来ることを考えてみました。
・自治体などの役所。役所が無理なら、被災地域の町内会、グループ単位で、『地域全体の復興計画』を被災後に考える。
・復興計画を考えるにあたり、集落の中でリーダーシップを取れる何人かが、集落全体を回り、どこの復興活動を最優先にすべきかの情報収集をする。
・復興活動を個人単位で行う前に『集落全体の復興のために、どこにチカラを入れるべきか』を考え、それをなるべく多くの住民に参加してもらう。
以上です。
かなり、無理な方法だというのは承知です。ハッキリ言って非常時に
『お前んちも大変だと思うんだけど、もっとひどい集落の復興を手伝ってくれ!』とか、
『確証はないけど、少し離れた、地域の道路を先に片付ければ、大きいトラックが入れるようになるから手伝ってくれ!』とか
今回のように、
『これ以上の浸水を防ぐために、まずは排水路の確保をしないといけない。離れたC集落を手伝いにいこう!』
という、自分の家を投げ出して何かするというのは、アタマで分かっていても、
特に非常時には、実行にはうつせません。
だから、理想論になってしまいますが、
日常から住民同士が意思疎通を図りやすい関係を築くだとか、
住民全体のことを考えられる人間が被災後にトップに立ち、リーダーシップを取ることが出来れば、地域全体の復興が加速できるではないか、、と思うのです。
★また、コレも賛否両論ありそうな意見ですが、
地域全体を、救うために、『お前のとこは後回しにさせてくれないか?』というエリアがどうしても出てくると思います。そのエリアの住民には我慢して頂く代わりに、罹災証明と加えて、特別な支援が受けられるような何かを発行するとか、、、。
皆同じ被害を受けているので、納得行かない人もいると思いますが、川手の勝手な妄想の域の話です、、、。
ただ、目に見える『お金』とか、『行政からの補助』という、対価があるのなら、地域のために行動する気持ちの後押しになるのなら、それもまた悪い事ではないのかと思います。
★ハッキリ言って防災に関して川手はシロウトです。これ以上の研究は、僕のやるべき領域を超えています(笑)
もし、防災のことや、復興活動を加速させる研究をされる企業さんや大学、対策する自治体などありましたら、今後の災害に向けて、ご検討をお願いしたいと思います。
★また、これは別件ですが、人手があるご家庭や、道具や業者さんを雇えるご家庭は、復興が進みますが、その一方で、一人暮らしの高齢者や、経済的に余裕のない方は、全く復興活動が出来ない、という現実もあります。今回のレベルの水害は特殊かもしれませんが、チカラのある家庭はどんどん作業が進む一方、チカラのない高齢者の家の方に、結果的にどんどん水がたまるような構図になる心配もあるのだと思いました。
★自分の家がピカピカになったとして、
両隣の家が、まだ浸水したまま、ドロドロの状況だったら、、、。それは結局、自分の家にもニオイや衛生面で悪影響を及ぼします。
地域全体のマイナスになります。
一人暮らしの方、高齢者などを、どうサポートしていくかというのも、改めて考えさせられました。
★ちょっとネガティブな内容が多めの記事になりましたが、現地で思った事を書かせてもらいました。
少しずつですが、Kさんの家の浸水した家も片付いてきています。
記事が長くなったので、
Kさんの家の片付け具合は、別記事をぜひご覧ください
http://ok-farm.hateblo.jp/entry/koyaura0715
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
三連休の最後、7月16日は、川手は小屋浦へは行きません。
被災者も現地でボランティアをされる方たちも、体調にはお気をつけ下さい!水分補給はしっかりと!
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OKファーム 川手晋治
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本業は、東広島市豊栄町で、農家をやっています。
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2018年 小屋浦3丁目の現状と課題
被災してから1週間が経った、安芸郡小屋浦に行ってきました。
皆さんも各地でボランティアに入ったり、
現地には行けなくても、SNSで呼び掛けなど、お疲れ様です。
写真を交えながら、坂町小屋浦の現状と、
今後の課題を書いてみます。
(思った通りのこと、町民の方の言葉をなるべく書いていますが、
自治体をはじめ、誰か他者を責める意図は無いということだけ、先にご承知下さい)
★坂町小屋浦3丁目の現状
・小屋浦町内、全体的に高齢者が多い
・電気は来ている
・断水中(上水は復活したが、下水が復旧作業のため、断水している)
・3丁目内のエリアにもよるが、多くの家が床下、床上浸水。
・1丁目、2丁目と比べ、土砂の水分量が多い
・水分量の多い土砂が、60〜80センチ程度は住宅道路を覆っている。
また、自宅の中に流れ込んでいる家もある。
★15年以上、川手のことを色々と支えて下さっているKさん(小屋浦在住)が、
この度の大雨で、被災されました。
小屋浦では、7/6の夕方〜夜あたりに、
『ドーーーーン!!』という音が山から何度もしたそうです。
恐らく、土砂崩れが起こった音だそうです。
(ちなみに、この土砂崩れは、ニュースで言われている、70年前の砂防ダムの決壊〜とは別の場所の土砂崩れです。)
Kさんと、その地域の方は、床上140〜150センチの床上浸水。二階に逃げ、食べ物がない状態で、2日間ゴムボートの救出を待ち、無事に、生還されました。
まず、土砂崩れが起こった場所の写真がこちら。
少しここから奥に行きましたが、100メートルくらい登っても、崩壊のスタートが見えないような感じでした。
そして、この写真の場所を背にすると、まずこの光景。
段々畑だった場所が、その下の青い瓦の民家を襲いました。写真左の方に見えるのが、半分以上埋まったワゴン車です。
青い瓦の家を、横から見ると、、、。
中に軽トラが押し上げられているのが分かります。沈んでるのではなく、上に上がってます。
その隣の民家がこちら↓
この状況で、死者が出なかったのはかなり奇跡だと思います。
そのまま崖崩れ発生場所を背に進むと、
生活道路の交差点に。
持ってきたスコップを突き刺してみると
深さ60センチは軽く超えている
タチが悪いのは、土砂がベチャベチャということ。近所の人も、私とKさんご家族も、何度も足がハマる。
ハマると、長靴はおろか、太ももあたりまで足が埋まりこむ。誰かに足を引っ張ってもらわないと、脱出困難。写真は川手がハマったときのズボン。
近隣の人と協力して、流木やトタンで足場を作り、Kさん宅へ進む。流木は結構滑りやすいので、あまり信用出来ないが、ハマるのに比べればマシ。
帰り道に分かったことだが、小屋浦3丁目から小屋浦2丁目に向かうに連れ、土砂の水分がどんどん少なくなっている。小屋浦小学校の付近では、ビーチのようなサラサラの土。(写真は2丁目の小学校付近)
もちろん、2丁目の人の土砂撤去も大変なのだが、猫車を余裕で押せる、しっかりとした路面が天国のように感じながら、帰路についた。
話を戻して、Kさん宅にたどり着く。
Kさん一家は、現地に入るのは3日目?らしいが、ハッキリ言って家の中の片付けは全く進んでいない。
許可を得たので、室内の写真も掲載する。
3日かけて、少し片付いた、Kさんの居間。
書き間違えではない。これで、3日分片付いた部屋なのだ。最初に入った時は、どんな状態だったのか、、、、。
台所に入る。
こちらは、まさに手付かず。
停電が続いていたため、冷蔵庫の中身もヤバそうだから、あえてまだ開けていない、とのこと。
風呂場も詰まったまま。
小屋浦3丁目の住民の多くは、家の敷地内にクルマを停めている方が多い。Kさんもそうである。
そのため、土砂の流れで移動したクルマが、Kさん宅の玄関を塞ぐ。ドアは半分くらいしか開けられない。
向かいの家は、もっと状態が悪い。
玄関のドアの下半分を、土砂が抑えているため、ドアがそもそも開かない。
そして前述のぬかるみ。電気の点検にきたスタッフも、ぬかるみのひどい向かいの家に入るのを断念していたくらいだ。
このような道路状況のため、Kさんの家の片付けが、3日間全くはかどらなかったことに納得した。まず、浸水した場合、真っ先にやる
『家の中の物を全て出す』が、行えないのだ。
昼になってから入った話だが、この日にようやく、坂町が依頼したショベルカーが、小屋浦3丁目に入ってきたらしい。が、Kさん宅は、小屋浦3丁目の横幅を、10としたら、7とか、8とかいう奥の方の位置。対してショベルカーは、まだ、1の位置の土砂避け始めたばかり。恐らく早くとも明日、悪ければ明後日以降にならないと、Kさん宅の道路には来れない。
なるべく床上浸水の状態を解消したいKさんや近隣の方だが、どう考えても、重機が来ないと、いつまで経ってもベチャ土砂の水分が家の下に増え続けるのだ。
とはいえ、少しずつ、Kさんの家の家具などを外に運び出す。
タタミを出し、ゴミを、出し、家具を出し、
家の中も、少しは片付いてきた。
Kさんの居間には、掘りごたつがあった。
そこに、テレビやゴミや、色々な、家のものが
落ちていた。
掘りごたつの下に、水が溜まっていたので、バケツなどでくみだす。
協力して、水をカラにしたと思ったのも束の間、少しずつ、少しずつまた水が集まってくる。
当然である。前述の通り、家の床下より、道路の、土砂の方が高いのだ。道路の水が、いつまでも家の床下に入り込んでくる。
4日間、必死に作業したKさんですらこの状態なのだ。高齢者の多いこの地域では、避難先に避難したまま、自宅を見に戻っていない住人も多々いる。しかも、戻ったところで、高齢者1人で作業できるようなシロモノではない。
しかし、ボランティアが来たとしても、クルマも、猫車も、使えない状態なら、恐らく大した結果は出せない。
繰り返しのようになるが、重機が家の前まで入ってくれるのを、待つしかないらしい。
既に浸水から1週間。
修復可能な家が、少しずつ、ダメージを受けて行く、、、。
そうこうしている間に、3時になってしまったので、この日の作業は終了。
少しは明るい話題も出しておこう。
土砂崩れのあった現場を、最初に写真で紹介したが、実はそこは『天国』である。
山からの水がたくさん流れてくるため、断水中の小屋浦3丁目にとっては、貴重な水源。
給水車までは、歩いて15分くらいかかるが、ここならすぐにこれる。しかも、山の水は冷たく、日陰もあり、本当に気持ちいい。
断水していて、家の中の泥の処理が出来ないKさん宅での作業の合間にくるこの場所は、本当に、落ち着ける場所だった。お昼ご飯もここで食べた。
帰宅前に、小屋浦小学校に寄り、
罹災証明を提出する。
小学校近辺は、橋が崩落しかけていたり、
また、土砂が1〜2メートル、川底を覆っているらしく、このままではまた氾濫の恐れがあるため、自衛隊の方が、川の土砂を運び出していたりした。
国道31号に出る前に、小屋浦3丁目で、作業中の重機を見かける。
だが、まだKさんの家はまだまだ遠い。
川手たちが帰った後の、お仕事に期待しつつ帰路についた。
今日、Kさん一家4人と、私5人で、朝7時から春の3時にまで作業をした。
1人あたり、1の作業をしたとしたら、今日は5の復旧活動をしたことになる。それは、間違えなく手応えとしてある。、家の中が片付いたのは、写真で見れば一目瞭然だ。
が、この5の作業を、あと何回繰り返せばいいのか?ゴールの、数字はいくつなのか?
考えたら、少し足が重くなった。
私以上に、4日も作業を、続けているKさん一家の疲労はかなりのものだと思う。
ご家族のサポートがある、Kさんですら、この困難な道のりである。近くに頼れる人のいない高齢者など、ボランティアが仮に来てくれたとしても、復旧への道筋が見えない方が多くいると思う。ひとつひとつやって行くしかないのだ。ドラえもんも、秘密道具もここにはない。やらなければ、何も進まない。
でも、今日被災地で作業をしながら、すごく嬉しい気持ちになった、というか、すごいな、と思った事がひとつあります。
被災者が皆、明るいのです。
もともと私とご縁のあったKさんは、超ポジティブな方なので、『まぁ、この人は悲観せずに淡々とこなすんだろうな』と思っていましたが、Kさんのご近所の方も、割と笑い声を飛ばしたり、『おぉー、生きとって良かったのぉー。まぁ頑張ろうで!』と、お互いに声を掛け合ったりしていました。
私が見る限り、泣いていたり、悲しい表情の方は、見ていません。本当に皆、明るかった。
物理的な話をすれば、重機がないと作業が進まない、という事なのかもしれません。
が、それと同じくらい大事なのは、私が見た『前向きな気持ち』なのかなぁ、と帰りのクルマの中で思ったりしました。
Kさんと作業している時に
『自分だけ、悲劇の主人公を気取ってもどうしようもない。難しく考えずに、やれることをやってくしかない。生きてるんだから、何とかなる』というような事を言われました。
今まで何度も川手に、色々アドバイスを、下さったKさんですが、
改めて『この人すげぇなぁ(笑)』と思いましたが、本当にその通りだと思います。
川手は、普段の仕事をしながら、
もう少し小屋浦3丁目のお手伝いに行くつもりです。
今、Kさんも小屋浦3丁目の皆さんも、重機を待つ以外は、何をしたらいいのか分からない状態だと思います。
ただ、もし今後道路の主な土砂が除去出来た時、
今このブログをご覧になっている皆さんのチカラが必要になるかもしれません。
ぜひ、引き続き小屋浦3丁目の復興を、このブログで見てもらったり、現地に来てもらって、一緒に進めていってもらえたらと思います。
皆さんも、お疲れのところ、長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。
追記
翌日の様子をブログでアップしました。
し被災者同士でトラブル寸前、、、。
何とか回避できました
http://ok-farm.hateblo.jp/entry/koyaura2
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OKファーム 川手晋治
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7月13日 夜 の道路情報 東広島市から、安芸区瀬野川へ向かう道
【道路情報ー豊栄ー福富ー志和ー瀬野ー中野東ー畑賀】【災害後、初の帰省】【明日は小屋浦に行きます】
7/13 21時30分の情報です。
★先ほど、故郷である畑賀に戻りました。
今日は実家に泊まり、3連休は、お世話になった方がいる、坂町小屋浦に行く予定です。
★まだ、畑賀の川や壊れた道路は見ていません。それに、今からは元気になっていくばかりの畑賀です。ポジティブに見ていこうと思います。ぶっちゃけ、皆さんも被災写真は、もう ご馳走さまだと思いますので、あまり写真も上げないつもりです。
★それよりも、道路情報。
豊栄20時00分発。到着は21時20分と、通算80分と、まずまずの空き具合でした。(普段は約60分)
★豊栄ー福富ー志和は、本当にいつも通りの道でした。強いて言うなら、時々残る水たまりと、路肩に逃がしてある土砂、畑や庭先を覆う土砂が目に入るときは、少し怖かったです。
そして、ここからが瀬野川近辺の方の役に立つかもしれない情報です。
★県道33号線、志和から瀬野へ向ける峠(通称榎山峠とか、瀬野峠とか、志和峠?)は、2本ある峠道のうち、まっすぐだけど細い道路は完全に閉鎖(カラーコーン)。遠回りだけど広い道は、一応『通行止め』の看板がありましたが、通行止めにするカラーコーンはなく、一台前のクルマも迷わず進んだため、私も続く。
山から水が出てきていたり、数カ所タイヤが『ガタっ!』というくらいの陥没箇所がありました。やはり、夜の道は空いていますが、陥没や障害物に気付きにくいのが恐ろしい。
幸い、瀬野から志和に抜けるクルマとは、一台しかすれ違わなかったため、いつも通りの時間くらいで走破。この時の時刻が、20時50分。
★ここから、バイパスを通って海田に出るか、
ニュースでよく見る、平原橋(2号線崩落現場)の迂回路を通って、2号線に乗るか悩む。
が、みどり坂を抜ける途中に、海田に向かう方向のバイパスが、クルマだらけだったので、中野東の迂回路を通ることに。
迂回路は、コーナン中野東の駐車場横から入りました。9時になっていましたが、なかなかの交通量。離合でどん詰まりになりそうなことが、3〜4回ありましたが、何とか抜ける。この迂回路は、初めての人が先頭を走る事になったら大トラブルになるかもしれません。昼間は、地元の人が誘導をしてくれているという情報もありましたが、全く初めて人にはオススメしません。(私は大学時代に時々通った事がありました)
★コーナンを入り口にして、ダイキ瀬野川店のあたりに出る迂回路になります。当然そこからはスイスイの2号線。ユアーズ横の、貫道橋を曲がり、安芸中野方面へ踏切を、わたると、あとはポプラを曲がれば、畑賀に無事入れました、
ポプラ付近の道路が、まだ水がドバドバ流れていたのに、驚きました。また大雨が降ったら冠水の恐れもあるかもしれません。
★写真もほとんどなく、土地勘のある人にしか分からない道路情報になりましたが、このような道路状況でした。
明日は、畑賀から海田に抜け、31号線を通り、小屋浦まで走る予定です。
明日は山陽自動車道が全線開通となります。
★交通がラクになる!!
かもしれませんし、
私のように、
★3連休だから、ボランティア行くぞ!!
という人が溢れ、道路がさらに渋滞する恐れもあります。
川手は朝6時前に畑賀を出て、小屋浦に向かうつもりです。
もうそろそろ寝ますが、何か道路、小屋浦の事などで気になる事がありましたら、コメントください。泥出し作業が最優先ですが、お返事できたら、しようと思います。
三連休、猛暑が予想されます。
渋滞も、予想されます。
スコップを持って、被災地に向かったけど、、
『着いたのは夜だった、、、』と、なりませんように、、、。
熱中症対策をし、時間に余裕を持って、皆さんもよい1日を、お過ごし下さい!!